名前を呼ばれる意味

2016.12.09 Friday

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     お父さんやお母さん、おじいちゃんやおばあちゃん。
    こどもとの接する時間が少ない立場の近親ほど、
    こどもの名前を連呼されることが多いなぁと、感じます。

    こどもの名前を呼び過ぎないで欲しいと、
    ディベロップの見学にいらっしゃるお父さんやお母さんにお伝えすることがあります。

    でも、どうして?って、思いますよね。

    大人になった私たちが、自分の名前を呼ばれるときって、
    何か用があるときがほとんどだと思いませんか?
    呼び掛けられて、振り返ったら
    その人が笑顔だけを見せているというようなシチュエーションだったら・・・

    私たちは、多分に

     (好意)???かな?と、
    感じるのではないでしょうか。

    しかし、そうでないとしたら…、
    どこかの窓が開いてるのか?とか、
    自分の背面に何かいるのか?とか、
    身だしなみの確認に走るでしょう。

    つまり、相手の意図を読もうとするわけです。

    可愛い我が子の名前を何度も何度も呼ぶのは
    ただ振り向かせたいだけじゃなくて、

    気づかせて、
    こっちにこさせたくて、
    ダッコもしたくて、
    じゃれ合いたい。
    そんな親たちの願いがあって、呼んでしまうのだと思うんです。


    人には「意図」があり、その「意図」を察することが上手な脳に
    もともと生まれついているから、
    その行為は、「好意」として受け止められ、
    相乗効果でより愛しいやりとりが繰り返される。
    その「意図」が、伝わりにくい脳に生まれついているとしたら…。
    緊張させるだけになってしまう。

    わが子の自閉症に気づいて間もない頃、
    それまで見ていた様子から行動が変わりつつあり
    まるきり落ち着きがなくなり、部屋の中をコマネズミみたいに
    動き出した矢先にSTから渡された書籍にあったこと
    「(母は)ジッと動かないでモノになりすましましょう」と。
    テレビもラジオは消して、家事は後回しにして、
    ひたすらモノになって私は部屋の隅に座っていました。
    すると・・・、時々、体全体でぶつかってきます。
    しかし、まだまだ、声も手も出してはイケマセヌ。
    ジッとただ、ただ、私はモノになります。
    するとどうでしょう。
    膝の上にチョコンと腰かけてくるではありませんか。
    あぁ、抱きしめたい。でも、ガマン!
    そういうことを1週間くらいしていたのかなぁ。
    少しずつ、動き方が変わってきました。
    (落ち着きがみられるようになった)
    普段は、気づけないことだけど、
    いかに私たちは騒音の中で過ごしているか。
    静かな静かな時間の中で、聴こえてくる色々な音。
    遠くを走る車のエンジン音。鳥のさえずりや羽ばたき。
    風の音まで。

    そういう静かな時間と空間の中で、私の五感は落ち着き、
    こどもが落ち着いていった。

    人の動きも「意図」が読めない脳を持つこどもにとって
    脅威だった。だから、自らが動きまわることで
    その脅威から逃れようとしていたのかと。

    言葉が出ないとか、
    言葉を話してほしいとか、
    言葉さえ出れば…等、
    「ことば、ことば、ことば・・・」(発語)にばかり
    意識が集中してしまう時期に。

    安心を与えてあげてほしいと、
    願わずにはいられない。
    (C)
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