施設の夏祭りのお客さんからとお客さんへと

2007.05.04 Friday

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    7月の日の出は早い。

    その日の出の1時間前から準備は始まる。

    暗闇の中、車に乗り込み近くの海岸へ。
    そして、昇ってくる朝日を背に広い砂浜を賑やかに歩く。
    徐々に明るく赤くなっていく海からの立ち昇る薄い霧。
    そして、波打ち際へ付くと、
    合図とともに網を手に取り一斉に引き始める。


    夏祭りのために。



    7月の第四土曜は鯒が以前働いていた自閉症施設太陽の村の夏祭りの日。
    当日の朝、夏祭りのため地引網で魚を獲る施設も全国的にもないかと思う。

    夏祭りの目的は地域との交流。
    でも、スタッフが主役では交流するのはスタッフだけ。
    ほとんどの住人が重度判定なこの入所施設にとって、売り子としての参加や何かをつくって売るといったことが難しい。

    スタッフの人手がかかる出店や企画はボランティア中心で、会場の出店は学生ボランティアや地域の参加者、企画は外部で肝心の入所者がほとんどいないといった所もある。


     地域の人が出店を出してくれるようになるといい面もある。でも、それを入所者や通所者が買うということが中心であったり、
     地域のサークル活動が発表してくれて、それを入所者や通所者が見て楽しむことが中心であったり、
    でも、それは地域のお祭りなどのイベントの中へ参加することや共同企画することで創っていく事の方が意味が大きい。


    施設のある場所で主催として行う意味はなんだろうと考えたとき、
    「主催としての入所している住人、ホストとしての役割」が、大切だと思う。
    町内の祭りが外部業者だけで催されたり、学園祭が学校職員が主役で催されて楽しいわけがないし行う意味がない。

    主役=ホストが入所者・通所者で、地域の人に来てもらって、それをもてなす事で交流を図ることが施設で行う祭りだろう。介護スタッフは主役ではない。



    地引網で獲った魚は生かしたまま、敷地に掘った穴に海水で池をつくり入れる。
    子どもたちの為のイベント、「朝獲りアジつかみ獲り大会」の為だ。

    歓声をあげる子どもたち。大笑いしている親御さんたち。
    この笑顔の為に朝からがんばったことをアナウンスするとびっくりされる。
    「その穴を最初に掘ったのは入所者のだれだれ(×10人と私)なんですよ〜!」と心の中で思ったりする。



    「入所者による演劇」
    「ミニサッカー大会(入所者チーム参加)」
    などといった、盛んなサッカーや太夫浜の伝統などの地元色と、地域への「入所者からのサービス提供」に力を入れ、子どもから地域理解を図っていこうと、夏祭りが始まってから今年で10回目となる。

    「主役を入所者に」というのは、自閉症中心の施設にとってかなり困難なことだと思う。
    でも、そんな祭り子どもの頃の参加者の中で「福祉大へ進学した」といった話をきけるようになってきています。

    入所からの地域移行には地域理解が不可欠。
    でも、その理解は、「してもらう存在」ではなく、一緒に地域をつくる担い手としての理解であってほしい。


    夏祭りの準備がはじまるこの季節。
    10年前に思ったこのことをいつも思い返します。

    (by鯒2007年05月03日)

    政令指定都市新潟の春・祝祭

    2007.04.30 Monday

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      雨上がりの一昨日は新潟市の政令指定都市への移行を祝う春・祝祭の日でした。
      信濃川を上るジェットフォイルと出港する佐渡汽船です

      信濃川の恵のもとで、
      300年ほど前、湊町として栄えた幕府直轄の地 新潟は、「新潟に杉と男の子は育たない」のことわざを生むほどに日本有数の花柳界を持ち、盆踊りでは海辺から町に至るまで3日3晩踊り続けたと伝えられています。

      明治の禁止令により途絶えたこの踊りを復活させた「下駄総踊り」を今回のメインに、市の花チューリップでの花絵づくり、花の種をのせて飛ばす花風船、新潟ジャズストリート、新潟太鼓づくし、アルビレックスチアリーダースパレード、81万人カウントダウン乾杯などが今日明日春祝祭として政令指定都市を祝います。


      じっくり見たかったのですが、今日も3本の行動援護。
      休む人がいても「しょうがい者」であることに休みはありません。
      メガネが必要な鯒のメガネに休みがないように、参加の為に福祉支援も重要です。

      街づくり勉強中な鯒ですが、今日は残念ながら、祭り参加のガイドヘルプの担当ではなく見にいけません。

      夜、六時過ぎに行われた「81万人のでの乾杯」に参加。亀田街道から栗の木バイパスへと右折しながら缶コーヒーで一人乾杯しました。
      篠田市長も言うように、これも一つの参加ですね。


      朝の雨がうそのように晴れ上がり、夕日の街・新潟のイベントにふさわしいきれいな夕日でした。


      見にいけなかったですし、話も聞けていないのですが、どのイベントにもしょうがい者の主催側としての参加は沢山あったでしょうか。

      新潟市の記念に残る春・祝祭。
      夕日がオレンジ色に照らす街並みのように、全ての人が輝ける祭りであったという話を聞けたらきっと心から嬉しいです。

      by鯒2007年04月28日

      ハレの日にはポッポ焼きを買って

      2007.04.19 Thursday

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        ポッポ焼き屋さん先日、仕事が終わって地元の神社の夜宮へ

        千年以上の歴史がある集落の神社の春の大祭。
        といっても近年は集落の高齢化も進み、祭りも小さくなったと義父。

        祭り小遣いを祖父母や叔父叔母にもらって上機嫌な娘たちを連れていく。

        (自分の子どもの頃と比べておこずかい多くない?)

        とちょっと思いながら、

        まずは神社へ。


        神社の中にいた法人がお世話になっている自治会長に挨拶。

        そして、娘と御参り。

        「家族が健康でいられますように」

        (そして「ヘルプの収入が施設より高くな・・・ように」)

        などとお願いしました。

        (「御賽銭これくらいじゃ2つ目は無謀?」と思いながら)


        娘二人は祖父母に買うと宣言していた玩具を買い、

        チョコバナナを食べ、

        祭りのお土産といえば

        ポッポ焼き。
        ポッポ焼きです。冷えたのもおいしいですよ。新潟市の周辺は、
        祭りの帰りは「ポッポ焼き」。
        でもこれって、新潟県でも下越の一部なのですよね。
        実は東京へ行ってはじめてローカルな名物なんだって知ってびっくりしました。

        コシがあるもちもちした黒糖の蒸パンといったらいいでしょうか。

        知らない方は一度食べてみてください。
        冷えたのも食感が変わっていいのですが、レンジであっためてもおいしいです。



        そんなポッポ焼きを買うために並んでいると、

        娘の友達がお父さんと登場。

        初めて会う父親同士の挨拶はさておき、娘同士盛り上がっています。

        まだ小さくても、お祭りの夜に会うのはまた特別なようです。


        夜宮は子どもが夜遊ぶことが大目に見られる日ですよね。

        高齢化が進んでいるといっても、30人は小学生が来ていました。

        お父さんやお母さんに手をひかれ、友達に会うと嬉しそうに話し込んでいます。

        親の手から離れようとする年頃の高学年くらいになると子どもだけできて盛り上がっています。



        夜宮のときに思うのは、

        そんな高学年以上のしょうがい児をあまり見かけないこと。


        昼間のイベントやお祭りでは会ったりする事がありますが、お母さんの忙しい夜は難しいのかなあと思ったりします。

        今年はそんな外出の提案もしてみたい。

        ポッポ焼きを家族へお土産に持ってこれたらと思います。


        by鯒2007年04月12日より転載

        東京都が見えないもの〜知的障害者都外施設〜

        2007.04.07 Saturday

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          白い・・・

          フォグランプにわずかばかり照らし出される視界は白く
          昼だというのになにも見えない濃霧。
          角館を出て山間を北に目指す国道は、
          すれ違う車もないまま1時間を過ぎようとしていた。

          近づいてくる面会の時間。

           まるでホワイトアウトのよう。
           雪で方向や側壁を見失うことは何度かあった。
           でも、ここまで見えないのは初めてだった。

           かすかに見える左の側溝。
           それだけを頼りに引き返すこともできず進んだ。
           目的地の森吉町についたときには、日も暮れようとしていた。
           ここには、お世話になった知人がいる。


           都内でも古くからある作業所につとめた鯒。
          授産作業に活気があるその施設も、設立当時からの利用者にとって
          長い年月が過ぎていた。
          東京の下町、相撲でおなじみの富岡天満宮。深川不動。
          そんな、ばりばりの江戸育ちの利用者たち。
          しかし、親の高齢化は明らかだった。

           一人、また、一人。
           グループホームがない時代から、見知らぬ北の地への旅立ち。

           東京都が建設してきた都外施設へ。


           天然杉がふんだんに使用されている施設は、広くて暖かい造りだった。
           久しぶりに会った知人は懐かしそうに名前を呼んでくれた。
           作業所の頃の話で盛り上がる。作業の話、当時の利用者の話、
          行事の話、スタッフの話、そして、深川の町の話。。。

           昔、新人だった鯒にいろいろな話をしてくれた知人も年をとっていた。
           生まれ育った町に帰りたいと思いながら生活している。
           そんなに大きな望みではない。

          でも、東京が変わらなければ、戻る場所はない。

           いったい何千人の知的障害者や自閉症者が
          自分の気持ちと無関係に北の地にいるのだろう。

          そして、どのくらいの東京都民が、この濃い霧の向こうのことを知っているのだろう。

           鈴木さん、青島さん、石原さん、
           知的障害者が自閉症者が都内で暮らしてはいけないのでしょうか。

           銀行つくってもいいです。
           暴言も聞き流します。
           ガラパゴスに、仕事で行ってもいいんです。

           だから、、、
          東京都で暮らす皆さん、
          誰か、
          命のあるうちに故郷の下町で暮らせるように、
          東京で声をあげてください。これからの4年は長いです。

          お願いします。。。

          (鯒)

          カリスマDJと自閉症

          2007.03.31 Saturday

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            アルビレックスのどの選手より、
            郷土の英雄である田中角栄より、

            新潟県民にとって、
             大倉修吾さん。
            BSNラジオ「ミュージックポスト」のパーソナリティ)
            この人より有名な人はいないです。

            「千の風になって」をご存知の方は多いですよね。
            紅白で多くの方に知られることとなりましたが、
            この曲はもともと「ミュージックポスト」の中のコーナー「天国への手紙」(2002年〜)でながされていたものです。「千の風になって〜天国への手紙」として映画化もされました。このコーナーも大倉さんの発案といわれています。

            「ミュージックポスト」は36年続いたオバケ番組で、驚異的な視聴率や数々の著名人やヒットを生んできました。私も、中学生の頃、14才くらいだったと思いますが、その頃よく聞いていました。

            その「ミュージックポスト」が、先日、3月29日にその長い歴史を閉じました。
            本当にお疲れ様でした!

            私が中学生の頃。
            新潟では自閉症親達が自閉症施設の建設を求める声があがっていました。
            新潟市自閉症親の会や自閉症協会新潟県支部などのお母さん達は、学習会を行い、文集をつくり、バザーを行い懸命に努力しました。

            その際にミュージックポストでも取り上げてくれ、県民的な運動としての火付け役となり、そして協力を惜しまなかったのが大倉修吾さんでした。
            当時「自閉症は知的障害施策の中で行う」といった県福祉行政の方針もあり、その道のりは大きな困難を伴う長い道のりだったと聞きました。しかし、大倉さんは応援し続けてくれたそうです。

            そして、長い困難の結果、平成3年、当時の市議や長谷川新潟市長(当時)の決断によって自閉症施設「太陽の村」(法的には知的障害者施設)が平成5年に建設され、自閉症支援を掲げる施設となりました。

            全くそれを知らずに鯒がUターン就職したとき、鯒は26才になっていました。大倉さんがいなかったら、「ミュージックポスト」がなかったら、「太陽の村」もなく、鯒はおそらく今も都内で働いていたと思います。

             時は流れ、

            ミュージックポスト」が終了することとなった今年度、新潟県に発達障害支援センターが開設されました。県にとって自閉症支援など発達障害支援の施策が明確に位置づけられるようになりました。

            そして3月。今年の4月以降、新潟県独自施策として全国的に例のない、福祉圏域ごと全県14箇所に発達障害を支援する相談事業が整備され自閉症・発達障害への支援が行われることが決まりました。
            新潟県は、発達障害支援センターの他に、そのセンターと連動して支援する、他県にないローカル重視のシステムを上積みとして打ち出し、自閉症支援に正面から取り組む行政へと変わっていっています。

            偶然のことかもしれません。
            ですが、私は、大倉さんの自閉症支援への思いが「ミュージックポスト」と一緒に届いたような気がしています。


            自閉症者を応援し続けてくれた大倉修吾さん。
            ありがとうございます。
            これからもご活躍を
            そして、これからも自閉症支援をお願いいたします。

            14箇所の発達障害を支援する相談事業者には、ぜひ、自閉症児のお母さんと出会ったときは、「おくさ〜ん!」「何やってるんですか〜!」って、よかったら大倉さんのように話しかけてくださいね。
            先日、発達障がい者支援体制整備検討委員会を傍聴しながら、こんなことを考えていました。

            by鯒

            追伸
            「湯沢の田村さん、新潟市の山口さん、その他大勢の建設運動を支援してくれた皆さん元気ですか?今も感謝は忘れません!」と当時のお母さん「Sママ、Wママ、Mママがよろしくだそうです」この場をかりて。。。
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